特別お題「おもいでのケータイ」はauじゃなくてdocomoのP900iV
ミズノプロ レザーケアクリーム&コンディショナーを使ってみた
どうも、僕です。
スティーブ・ジョブズの最後の言葉の記事は、皆さんに良く読んでもらっているみたいでとても嬉しいです。
愛こそはすべて、All you need is loveですよ。
そんな感動的な名言の記事とは打って変わって、今回は「~を使ってみた」記事を書いてみたいと思います(白目)
- 僕のグローブ紹介
- 僕の普段のグローブ手入れ方法
- ミズノプロ レザーケアクリーム&コンディショナーとは
- 感想・まとめ
【名言 感動】スティーブ・ジョブズの最後の言葉、愛こそはすべて
どうも、僕です。
こう天気が悪いと、地球の重力に魂を引かれてしまいますね。
カミーユ・ビダンやシャア・アズナブルにやられてしまいますよ。
うつによるG。
まぁ、その中で修行をしているものだと思って、ポジティブに捉えますか。
実際に苦しいわけですしね。
人生は修行なのかもしれません。
スティーブ・ジョブズの最後の言葉
さて、皆さんはスティーブ・ジョブズという人物を知っているだろうか。
※引用元:スティーブ・ジョブズ - Wikipediaから
そう、MacintoshやiPhoneを作ったアップル社の創設者だ。
言うなれば、彼は時代を創った男と言っても過言ではないだろう。
富を得、名声も得た。
しかし、スティーブ・ジョブズは最後にこう言葉を残したのである。
私はビジネスの世界で成功し、頂点に君臨した。
他人の目には、私の人生は成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、仕事を除くと、喜びの少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。
ベッドで寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、認められることや富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。
神の息を感じる。死がだんだん近づいている・・・
今、やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方がいい。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追及は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
神は、誰もの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。
私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力を与えてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。
生きたいところに行きなさい。
望むところまで高嶺を登りなさい。
全てはあなたの心の中にあり、あなたの手の中にあるのだから。
世の中で、一番犠牲を払うことになる”ベッド”は何か知っているかい?
病床だよ。
あなたのためにドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうこともできる。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は見つけることはできない。
物質的なものはなくなっても、また見つけられる。
しかし、一つだけ、なくなってしまっては再び見つけられないものがある。
人生だよ。命だよ。
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えていない本が1冊あったことに気づくんだ。
「健康な生活を送る本」
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もがいつか人生の幕を閉じる日がやってくる。
あなたの家族のために、パートナーのために、友人のために愛情を大切にしてください。
そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。
彼は死ぬ間際になり、今まで自分を病状で振り返りながら、こう考えたのであろう。
”愛こそは全て”だと・・・
富や名声は棺には持っていけない。
だけれども、愛にあふれた思い出は、天国への階段を照らし続けてくれるのだろう。
まとめ
この記事で神の愛について書いたのであるが、僕の人生は愛で満たされてはいないかというと、そうではないんですよ。
確かに僕を嫌い、妬み、恨んでいる人もいるかもしれません。
けど、それ以上に僕を愛してくれる人がいて、愛する人もいる。
僕の人生は愛で満たされている。
そう、僕は愛されるために生まれたのだから・・・
それでは次回もお楽しみに!
See you next time!
【アガペーと山上の垂訓と赦し】今日は哲学的にブログを書いてみる
どうも、僕です。
今日は、もうね。
書き殴ります。
自分の想いを。
生きづらさ
よく、陰で人の悪口を言ったりする人いますよね。
しかも、それに便乗してというか、同調して人の悪いところしか言い当てない、人の批評を論じる人。
僕ね、こういうの許せないんですよ。
いいですよ、スケープゴートにされるのは。
けどね、そんなの直接言えっての。
いいよ、謝るよ。自分に非があるんだったら。
そんなくだらないことが積み重なって、いつの間にか僕は苦しくなっていた。
息もできないくらいに。人を許せない自分を責めて・・・
生き辛いんですよ。
アガペー
皆さん、アガペーって知ってますか。
アガペーは、神の愛。罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛のことです。
主イエス・キリストは、罪人である僕たちを救うために、身代わりに十字架に磔になったものとされてます。
つまり、そんなくだらない事を言う人も、言われる人も、神の愛に照らされてる同じ罪人なんです。
山上の垂訓
山上の垂訓(さんじょうのすいくん)は、イエス・キリストが山上で弟子たちと群集に語った教えのことをいいます。新約聖書・マタイの福音書5章から7章にかけて書かれています。
引用元:山上の垂訓(説教)を全て解説―キリストが教えた比類無き聖書の明言 | True Ark Bibleより
真福詞・謙遜の祈り
キリスト教における有名な教えが書かれているのですが、その山上の垂訓の初めにイエスはこう言います。
心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
マタイの福音書5章3章から10節
傲慢になってはいけない、人を裁こうとすると自分も裁かれる。
だからこそ、クリスチャンとして謙遜して生きていかなければならない、と感じる聖句です。
やはり僕は義のために生きていきたい。
例え迫害されようとも・・・
汝の敵を愛せよ
また、イエスはこうも言われています。
「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
マタイの福音書5章43節から45節
誰にでも許せない人、許せないことはあると思います。
僕も上述したとおり、許せない人、許せないことがあり、それが怒りとなり、自分さえも許せなくなります。
だから、僕は祈りたいと思います。
そして、自分を赦していきたいと思います。
それが、僕にとっての最善なのではないでしょうか。
まとめ
こうして書いていたら、答えは既に出ているじゃないか。
人に怒りを向けてもしょうがない。
祈り、赦すことをしていこう。
僕はアガペー=神の愛によって祝福されているのだから。
これを読んでくれた方にも、主の祝福がありますよう、お祈りいたします。
投げない敬遠・故意四球がMLBで今季から実施!日本への余波は?
どうも、僕です。
投げない敬遠・故意四球については、過去記事でも言及したところです。
そして、投げない敬遠・故意四球がMLB(メジャーリーグベースボール、大リーグ)で正式にルール化された模様です。
このことについて今回は深掘りして、なるべく解りやすく書きたいと思います。
それでは、どうぞ、ご覧ください。
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