オーバードーズ~心の声~
どうも、僕です。
僕は何度も何度もどうにかなりたく、オーバードーズしてしまいます。
死にたいわけじゃない。
オーバードーズしたってなかなか死ねない。
そんなことは分かってる。
家族がいるんだからとか
綺麗な奥さんがいるんだからとか
可愛い娘がいるんだから
そんなことは言われなくても分かっているんだ。
ただ、そういわれるほど、僕という存在価値はなくなっていくようにみえる。
かまってちゃんだと思う。
そういわれても仕方ない。
僕は何者なんだ。
その昔、ワインと睡眠薬を飲んで意識障害を起こしたときに、僕はみんなにFacebookやLINEでこんな文章を送っていた。
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【頼む!最後まで必ず読んでくれ!(シェア希望)】
シェアでもなんでもしてくれ。
みんなにこの情報を拡散してくれ!
※悪酔い注意(ワイン一本空けてOD)
※いいね!、リアクションした方も何かしらコメントくれ。俺の悪口でもいい。社会への憎悪でもいい。なんでもいい、コメントをくれ。
Facebookの皆さん、ありがとうございます。
ずっと友達の人も、新しく友達になった人も、みんなありがとうございます。
こういう投稿をすると友達がいなくなります。
友達だと思ってた人は、僕を友達から外してブロックしました。
職場の人も休んで復帰してから態度が変わりました。仲良くしてもらってたのに。甘えてる、だらしない、自己管理ができていないとでも思えたのでしょう。
こんなに心配してくれる仲間がいることは嬉しいことですし、生きる力になります。
正直、生きる気力はなくします。家族がいても、愛する娘がいても、それがたとえ無責任でも、死を選ぶ覚悟さえできています。
けれど、やっぱり生きていたいんだよ。
須藤新之介でいたいんだよ。
僕はパニック障害で双極性障害も持ってて、非常に面倒くさい人間だけど、だけど、人を愛する心は持ってるし、正義だって持ってるし、仕事だって一生懸命やってる。
けれど、それをそうでない人間にとやかく影で言われたり、僕じゃない誰かが僕に洗脳されてるとか言われるのはフェアじゃないし、そんなのは狂った組織だ。
僕は今電話が怖い。
かかって来るのも、かけるのも無理だ。
取れない。
辛いんだ、とても。
今、オーバードーズした。ワインと一緒にデパス2錠と眠剤2錠を飲んだ。
けど、こういう風に文章打ててる。
けど、辛いんだ。
Facebookのみんなが優しくしてくれることはものすごく嬉しいし、力になる。
けど、自分自身が本当に必要な言葉って聞こえてこない。僕が言わなきゃいけない。辛いって。
けど、その辛いが言えないんだ。
甘えとかじゃない。
言葉が出ないんだ。
それをわかってほしいんだ。
みんな、ありがとう。
コメントくれた一人一人が僕のために書き込んでくれた文章は忘れない。
Facebookはそういう武器だと思う。
そして、気づいたのは、僕の他にもたくさんの同じ悩み、病に傷ついているひとがいること。
みんなで、その人たちを守ろう。
そして、同じ傷を持つ人も、どんどんFacebookでもTwitterでも発信しよう。
SNSはそのための道具だ。
そして、僕がされたのと同じように、それで離れる人間がいるとしたら、それは仲間じゃないし、友達でもない、ただの人だ。
ただ、汝の敵を愛せよとある。その人のために祈ろう。
苦しい、悲しい、辛い
けど、その向こうには楽しいことがある。
これが、ワイン一本空けてODした僕の思いだ。
職場とか社会とか、友達関係とか関係ない。
僕の本気だ。
読んでくれてありがとう。
みんなのこと、主によって心から愛しています。
これを読んでくれた人はなんでもいい。
いいね!とリアクションじゃなくて、あなたの言葉を描いてくれ。
頼む。
ぼくはあなたの声が言葉が文章が聞きたいんだ。
あなたの本音を聞かせてくれ。
※いいね!、リアクションした方も何かしらコメントくれ。俺の悪口でもいい。社会への憎悪でもいい。なんでもいい、コメントをくれ。
頼む。
そして、この情報を全世界にバラ世界にばらまいてくれ。
もう、誰も涙を流さないように。
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昨日も苦しくて、薬も何錠飲んだかわからないけど、寝ていた。
睡眠薬を舐めて、少し甘かったのを覚えている。
これを打った時に、僕はもう意識はなかった。
全く覚えていない。
けれど、これだけの文章をみんなに送っていた。
そう、これは僕の心からの声だったんだ。
それを大事にしてくれた人がたくさんいた。
僕は単純に嬉しかった。
神様はいつも僕らを愛し続けている。
それに対し、求め、探し、叩き続ける。
神様は僕に、僕たちにチャンスを与えてくれている。
そして、それを待つんじゃない。
「自分から」求めていくんだ。
ねだるな
勝ち取れ
さすれば与えられん
「交響詩篇エウレカセブン」より
※google画像検索より
これは、聖句のオマージュであると思われるが、主人公のレントン・サーストンがこう叫んだのは、周りにねだるのではなく、自分から(神に)求めていくんだという意識が現れている。
僕は周りに対してねだったのかも知れない。
分かってくれと。
けれど、僕は神に求めたのかも知れない。
無意識のうちに。
もう僕には与えられている。
愛する天の父なる神様、どうかこのブログの文面を読んだ人も、読まない人にも、あなたの素晴らしい祝福と恵みが降り注ぎますように。
感謝の気持ちをいつも忘れずに持ち、笑顔でいられますように。
愛するイエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
それでは次回もお楽しみに!
See you next time!
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