僕とお前とお前とあいつ④
ないてたらね ないてたらね
どんどん かなしくなって
なみだがね つぎつぎ わいてきて
ないてたらね ないてたらね
もっとかなしくなって
なみだがね とまらなくって
ずっとずっと ないてたらね
へんだなぁ いつのまにか わらってた
「おかあさんといっしょ」から
子供がいると、だいたい「いないいないばあっ!」か「おかあさんといっしょ」を見ますよね。
この「おかあさんといっしょ」はもちろん子供向けの曲が多いわけですが、なかには大人が聞いてもジーンとする曲が結構あるのです。その中の一曲が「ないてたらね」。
気分が落ち込んでいるときに聞くと泣きそうになるんですよ。
皆さんも、お時間があったら聞いてみたり、動画を見てみてください。
ということで・・・
どうも、僕です。
今日は「僕とお前とお前とあいつ」シリーズ第4弾!
第3弾から僕がパニック障害・双極性障害になった起因を過去から紐解こうと、しんぽこぽん過去編を展開しています。
今日は専門学校編です!
どうぞ、お楽しみください♪
日本ジャーナリスト専門学校編
僕は専門学校を2つ出ています。
出ていますというか・・・
入学⇒中退⇒入学⇒卒業⇒再入学⇒・・・って感じです(謎)
一応、高校は県内でも有数の進学校。
高校の同級生は皆さん国公立大に行く中、アウトローな僕は高卒からスポーツジャーナリストを目指し、今は無き日本ジャーナリスト専門学校(通称ジャナ専)に入学しました。
ご存知の方いますかね?ジャナ専。
結構凄かったんですよ、ここ。
報知新聞社でV9時代の巨人版記者だった大村紀さんが担任だったし、現役のスポーツライターやラグビー解説でお馴染みの村上晃一さんも講師でいました。
ラグビーファンの方は必見。日本でのワールドカップも2年後ですからね。
ただ、カメラの授業の講師が嫌でね。。。
何か芸術家ぶって、いや、多分芸術家の類の方だったんでしょうけど・・・
自分の世界の中にいそうな、僕の苦手なタイプの方でした。
そんな中、一眼レフカメラの授業。(当時はアナログ)
「一眼レフカメラを持ってこい!普通、家にあるだろ!!」と。。。
ねぇよ!インスタントカメラしか使ったことねぇよ!!
じゃあ、俺の貸してやるから・・・
ってことで、そやつのカメラを使用し、ピント合わせのテスト・・・
僕だけピントが合わない・・・
いや、心のピントは今でもあってないけど、僕だけピントが合わなくて、そやつにひどく罵倒されました・・・
その頃には、
「この学校にいてもスポーツライターにはなれない、ましてや高卒の俺では。。。」
と気付くとともに何もかも自信を無くし、ライターの道を挫折・・・
また、東京の暮らしにも慣れず、通学列車の西武新宿線は毎朝満員電車、学校最寄り駅の高田馬場は学生でごっちゃ返し・・・ 毎日、人酔いしていました。
そして、当時暮らしていた花小金井のアパートの目の前は消防署。毎日サイレン・・・
不眠症になっていました。 踏切に飛び込もうともしてました。この時には既に抑うつ状態だったんでしょうね・・・
そんな僕は半年も東京にいないまま、ジャナ専を中退し、地元に帰ってきたのでした。
ごめんよ、ドラえもん・・・
ジャナ専中退後
半年もしないで地元に帰ってきた僕は、某ドラッグストアでバイトするも1週間でばっくれるなどの体たらく。余っていた奨学金でぶらぶらしながら(返済済み)、バイクで旅に出たりしてました。
そんな中、某友人A(Twitterにもたまに出てくる某友人A)が郵便局の仕分けのバイトを一緒にやろうと言ってくれて、それは結構続きました。力仕事でしたが、時間が過ぎるのは速かったな。
当時付き合っていた彼女とも別れ(後にまた復縁するのですが※今の妻ではありません)、途方に暮れ、どうしたらいいか分からなかった時も、某友人Aの勧めで公務員を目指す専門学校に入学することを決意しました。
某友人Aは僕の幼稚園からの腐れ縁 。この腐れ縁が僕の生きる道を繋いでくれました。
ちなみに彼女と別れた後、何故か現在の大親友であるKと夜中まで人生について語り合う時期が結構続きましたwそこからですね、何でも相談する仲になったのは。
ケイセン編
ということで・・・
某友人の勧めで公務員を目指すこととなった僕は、地元にあるケイセン公務員ビジネス専門学校に入学することとなりました。
上述どおり、一応、県内有数の進学校出身。
(地元にはリカちゃんキャッスルがあり、こんなものまで作られる、合唱強豪校で有名な一応我が母校)
公務員試験とか、楽勝でしょ!?
って、高を括っていたら・・・
受けた試験 、全部落ちました・・・
ごめんよ、ドラえもん・・・(2回目)
そこからですよ・・・
僕の心にやる気スイッチが入ったのは。
ということで、ケイセンに再入学し、勉強し直すことにしたのです。
ケイセン再入学編
ケイセンにはお馬鹿さんのためもう一度公務員を目指す人のための再入学制度というものがあり、半年間の授業料で公務員試験対策の授業が受けられました。
その年から現在の校名であるケイセンビジネス公務員カレッジに変更されました。履歴書書くのが面倒くさかった・・・
朝は学校が開く7時に投稿し、夜は学校が閉まる20時まで勉強してました。
その反動か、抑うつ状態になることもしばしば。
そん時はいい塩梅に頭も休められたので良かったのですが・・・その時は・・・
追い詰められてましたからね。
自分自身へのプレッシャーが半端じゃなかった。
それこそ、血反吐吐くぐらいの勢いで勉強してました。
多分、人生で一番勉強したでしょう。
そのおかげで・・・ 一次試験は全て突破!!
二次試験も国家公務員Ⅲ種と現在の職場を突破し、どちらにいこうか悩んだ末に、現在の職場を選びました。
結構、このことを今でも後悔しています。
何はともあれ、プレッシャーから解放されたわけです・・・
ちなみにケイセンに入ってからの2年間、郵便局で配達のバイトをしていました。
大変だったけれど、終わりが見えて、周りもみんな良い人で、変な話楽しかったな・・・
何故か救世主(メシア) と呼ばれていました。 ただ単に、バイトだから使い勝手が良かったのと土地勘もあったのでというのもあるのですが・・・
真面目な話、班長の携帯には「救世主・しんぽこぽん(苗字)」と登録されていました。
そんな感じで最年少ということもあり可愛がってもらっていました。
あの日に戻りたい・・・(白目)
モーニング娘。は初期が好きです。(それ以降は分かりません・・・)
今回のまとめ
高校時代に発芽していたものが、専門学校(東京)に行って花が咲いたみたいですね!
⇒もっとマシな例えはないのか・・・
まさに花の都・大東京!
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清原・・・
と冗談はほどほどにして・・・
良い時期もあれば、悪い時期もあった。
そんな20歳前後の青春といったところでしょうか。
そして、大人になるにつれて生き辛さを感じるようになってきた。
それと同時に承認欲求も強くなっていったのであります。
神様は何と言われているか
【新約聖書】ヨハネの手紙 第一 1章 9節
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
悔い改めよ、ですね。
アーメンです。
面白く、解り易いので是非読んでみてください。
今日一日
今日は寒かったけれど、歩いて某家電量販店まで行ってみました。
8.6km!14,000歩!!
途中から吹雪いてきました。
気温はマイナス2℃
疲れた。けど、良いリハビリになりました。
達成感は大事です。
次回予告
次回は、いよいよ社会人編!
乞うご期待w
それでは・・・
See you next time!